定年延長に伴い、病気とともに働く人が増えています。病気になっても働き続けられる職場は従業員に安心感を与え、企業にとっても労働力確保やエンゲージメント向上につながります。
ますます注目が高まる「仕事と治療の両立支援」を積極的に推進する企業の思いや具体的な取り組みをインタビュー形式でご紹介します。
第1回 中外製薬株式会社 様
インタビュー:2024年6月
話し手
人事部
エンプロイーサポートグループ
グループマネージャ 山本 秀一 様
人事部
エンプロイーサポートグループ
保健師 富田 まり子 様
聞き手
一般社団法人仕事と治療の両立支援ネット-ブリッジ
代表理事 服部 文
「就労支援ハンドブック」誕生のきっかけ
―(ブリッジ・服部)近年、がん医療は非常に発展しました。貴社は、2015年という早い時期に「がんに関する就労支援ハンドブック」を作成して社員に配布、仕事と治療の両立に関する先駆的な取り組みをされています。
作成の背景には、多くの社員に対応してきた経験がありました。療養や休職の対応をするとき、社員が不安に思うことにはかなりの共通点があったんです。
だから、その共通した部分を冊子に整え、いつでも手に取れるようにすることで、病気の治療に入る社員が治療の選択や復職時期を検討するそれぞれのタイミングで参考にし、少しでも気持ちの負担を和らげられたら、という思いでスタートしました。
―それまでたくさんの不安を聴いてこられたということは、もともと貴社では社員が率直に自分の困りごとを伝えやすい土壌があったんでしょうか。
病気の治療に入るとき、お休みするとき、復帰するとき、そうした折々のタイミングでは必ず産業医面談をしますし、療養中もずっとフォローをしています。
社内への周知と社員の意識の変化
―ハンドブックを配付するだけでなく、「World Cancer Day in CHUGAI」など、社員向けに仕事と治療の両立を周知する取り組みも積極的にされていますね。
「World Cancer Day」*は、国際対がん連合のグローバルな取り組みですが、弊社は協賛するだけでなく、社員向けのイベントとしても実施しています。
これは製薬会社だからということもあるかもしれませんが、私たち人事や産業保健スタッフが仕掛けたものではなく、日頃からがんという疾患に深く携わる社員の思いやニーズが形となったイベントです。
会社として今後どんな医療を目指すのか、という意志が体現されています。
「World Cancer Day」*:世界中の人々が、がんに関する意識を高め、知識を増やし、がんに対して行動を起こすことを目的として、世界各地でさまざまな取り組みを行う日として毎年2月4日に制定された国際デー。
就労支援ハンドブックもつくられた当初は全然知られておらず、意識調査をすると「知らない」という回答が半分ぐらいありました。
そこから、「World Cancer Day in CHUGAI」のようなイベントで発信したり、健康調査の設問で認知度を測ったり、繰り返し社内で宣伝していくことで、少しずつ認知度やリテラシーが上がっていきました。
―就労支援ハンドブックはメディアなどでも取り上げられて、社外でもかなり話題になったトピックでしたよね。華々しい社外発信とは裏腹に、社内の周知は長く地道な取り組みだったんですね。
ニュースリリースは国の両立支援の取り組みが本格化する時期と重なっていました。就労支援については正直、名前の方が先に売れてしまって、社内の具体的な取り組みはその後で肉付けしながら追いついていったように思います。
10年前は、大きな病気を抱えて働く人がここまで増えるということを、まだ社内の共通認識として持ちにくい頃でした。
―ハンドブックができてからの10年間、日々の相談の中で変化は感じられますか?
私はこの立場で長く仕事をしてきましたが、昔はがんになったことを職場に隠しておきたいというような相談が、かなり多かったんです。
それが今は社内の支援制度も充実して、いろいろな制度を利用しながら病気の治療と就業の両立ができるということが周知されたせいか、病名を伏せたいというご相談は減ってきていると感じています。
ハンドブックを出していても、それですべてのニーズに応えられているかというと、そうではありません。
当事者の声によって両立支援のためのニーズを知ることがあり、そのギャップに気づき、必要な制度を検討し整備する。それが、次にがんに罹患した社員の両立しやすさにつながっていく。
そんな好循環が生まれているのかな、ということを思うようになりました。
社員の声は、「たとえ病気になる前と同じようにバリバリ働けなくなったとしても、こういうサポートの制度があるなら戻れるかも」と自信を持てるような仕組みにつなげられる力があると思います。
治療と両立できる働き方の要望を伝え続けてきたことで、短時間勤務制度が導入されるようになったように、社員が聴かせてくれた声が、働きやすい職場環境づくりのための制度や施策に確実に生きていると感じます。
複数の相談窓口で支えるライフキャリア
―当事者だけじゃなくて、周りとの関係性が大事なところですね。
やはり当事者は非常にセンシティブな存在です。
少しの言葉の行き違いでうまくいかないようなことも出てきますし、病気になったことを上司に伝えにくいという人もいます。
困りごとを一気に払拭することはできなくても、健康支援室で向き合いながら、どう伝えると理解が得られそうか、どんなサポートをお願いしたいか、ということを一つずつ話し合って克服していくこともあります。
管理監督者の意識啓発も行っていますが、それだけですべてを解決できるようなものではありません。
何かしらの不安や困りごとを抱えたとき、それを打ち明けられる先、例えば健康相談やキャリア相談、ホットラインなどの窓口があって実際に相談ができ、セーフティーネットとして機能することが大事だと思っています。
―相談できる窓口が複数あるのは安心ですね。健康相談で富田さんには話せるけど、職場の人には伏せてほしいという内容のこともあるでしょうし。
(病名を上司や職場に)伏せたい理由を問いかけているうちに、解決策や糸口が見えてくることもあります。そこには、自分でも気づいていない気持ちが隠れていることも多いんです。
病状を知られることで、今のやりがいのある仕事から外されちゃうんじゃないか、多くのものを失ってしまうんじゃないかなど、恐怖や不安な気持ちがあると自覚できていないこともあるので、その気持ちに一つひとつ向き合って明確化する。
その過程では、キャリア相談の存在も大きいと思います。相談窓口がいくつもあり、一人の社員に対していろんなサポートができるところは弊社の強みかなと思っています。
せっかく仕事をがんばりたいという気持ちがあるのに、企業側が過剰に配慮した結果、できる仕事も任せてもらえず、自分の存在意義を感じられなくなってしまうというのは、労使双方にとってもったいないことだと思います。
場合によっては、今ある働き方の調整だけじゃなくて、部署を超えた再配置もあり得るわけで、本人のこれまでの経験や知識、スキルや能力をできる限り活用して、どのように生産性を高められるかという視点でキャリアを考えていきます。
療養を必要とする人には療養できる環境をつくる。一方、病気を克服するためにも、治療と両立しながら会社で働き続けたい人もいる。
社員それぞれの価値観をすくい取ることなく、一方的に「いいよいいよ、無理しないで」とやりがいや生きがいを抑え込むと、職場に必要とされていないと感じて心が折れてしまうことにもつながります。
自分が社会で必要とされている実感は、生きていく上で大切なことだと思います。
そこはもう、病気の有無は関係なく、人が日々キャリアを歩んでいくとき、自分が何を大切にしてどう生きていきたいか捉えておくという視点はとても大事なところです。
社員の高年齢化に対応できる支援体制づくり
―まさに人生を通じたライフキャリアの考え方ですね。今後は労働人口の減少とともに、さらなる定年延長が見込まれます。そうなると年齢の高い社員が増加し、さまざまな病気に罹患するケースに直面する頻度が高まっていきますが、何か課題として感じられていることはありますか?
病気はがんだけではないということです。定年延長というと、就業人生が長くなるというイメージでしか捉えておらず、今の健康状態が維持される前提で将来を見ている人がほとんどだと思います。
でも現実には、例えば、脳血管疾患を突然発症してしまい、後遺症や障害など大きな身体的変化に苦しむようなケースも増えていくと予測されます。
そうしたことが全国どこでも起こる可能性があるので、全社的にしっかり対応できる体制を今からつくっておかないと、今後対応が追いつかなくなるんじゃないかということを、差し迫った課題として感じています。
―どんな病気であっても、思うようにならない心身の変化を伴って生きていくのは、人生史上初めて出会う自分ですもんね。大きな衝撃を受けることだと思います。
だからこそ、100%発症を防ぐことは不可能でも、できる予防は呼びかけていきたい。健康に働いてもらうために何ができるかって、今すごくいろいろと考えているところです。それにみなさん、会社に戻りたいって言われるんですよ。
自分に残されたのはやっぱり仕事で、そこにやりがいがあって、誰かからありがとうって言われることをしたい、役立ちたいっていう思いを持つのは、さすが製薬会社の社員だなと思います。
戻りたいという意思を強く持ち、ハンディキャップがあっても弱音を吐かずにがんばる人たちがいる。それを支えるのが両立支援だなと。
―当事者としても、誰かを支える側としても、社員全体の意識の底上げがほんとうに大切となりますね。
先ほどの相談できる窓口の設置は、本社機能だけではないんです。弊社の場合、統括支店にも衛生管理者、健康管理担当者として配置しています。
―身近に相談できる人がいるのは大きな支えになりますね。
医療職の資格はなくても、引けを取らない知識を持っていますし、社員への気配りや配慮も含めて素晴らしい人たちです。
年に数回、横断的な産業保健スタッフとしての枠組みで定期的に情報交換会を開き、コミュニケーョンを取っています。そこで、いま全社的にどんなことが起こっているか、困っていることはないかということをスクリーニングしています。
良好事例・困難事例を問わず、一つの統括支店で何かあっても全体でシェアされることで、その経験が他でも活かされるんです。
もちろんいつでも本社と連携できますが、やはりファーストコンタクトを取るのは現場の統括支店なので、私たちはきちんとしたスキームを提供しなくてはと考えています。
どこにどんな専門家がいて相談できるのか示したものをつくり、全国のどこで何が起こっても同じように対応ができる体制を整えていきたいと思っています。
次世代の両立支援を担う人材の育成
―実際に私も地方都市で活動していて、全国にある事業場長、例えば営業所長の一存で復職が妨げられるような事例を幾度も経験しています。企業の中の両立支援体制をつくっていくときに、要所要所でかかわるキーマンを配置して連携することがとても大切だと実感しました。こうして伺っていると、長い時間をかけて丁寧にいまの体制や関係性をつくられているように思います。企業がそうした人員を配置し体制をつくっていこうとしたとき、どんな教育・研修で育成していくといいでしょうか。
お話ししたとおり、現時点では安心して任せられる人員配置ができており、それを前提に、全国どこでも同じように対応できるような標準化に向けたスキームをつくることに注力しています。
円滑に運用できるメンバーがいるからこそですが、今後も長くこうした体制を維持していくことを思うと、次はソフト面、次世代の衛生管理者の育成支援に対しても視点を持つ必要があると感じています。
―ブリッジでは両立支援の知識を全14名の講師から学ぶ両立支援ナビゲーター養成講座をつくり、富田さん、山本さんにも受講していただきました。一方、この講座は情報量が多く、一定の学ぶ動機づけがある人向けの学習ツールでもあります。両立支援の導入としては、どんな内容のものが汎用性が高く役立つものになりそうですか。
ナビゲーター養成講座は、細かいところにも目を配った内容で、しっかり聞いて見直して、そういうことかと振り返るきっかけにもなり、とても勉強になりました。講師陣もかなり力が入っていましたね。
その手前の導入編となると、これから実際に対応する可能性のある疾患の特性を知ること、さらに支援に活用できるサービスがどこにあるか知ることです。
社内リソースですべてを賄うのは無理があり、やはり専門家の力を借りるという視点も大事だなということを身に染みて感じています。
―現場で使える知識を全体像として知るという視点で考えると、高年齢者の増加を見越して、がんだけでなく、難病、脳卒中などの情報があり、それに付随して見えにくい能力の落ち込みがあり得ること、どのように社外のリソースと連携しながら中長期的キャリアビジョンを描くか、そういう知識やヒントが得られることが役立ちそうですね。
こんなのがあったらいいなと言うのは簡単ですけど、それはすごく役立つと思います。
―私たちの実際の支援内容に重なる部分です。周囲の環境だけ整えてもうまくいかなくて、やはりご本人がどのように働いていくかが大切ですよね。一人ひとり異なる辛さがあることを理解して、地域リソースとつながり、具体的に乗り越える手段をともに見出していく支援が必要だと思います。こうした講座ができたら、企業内のどんな人が受講することが役立ちそうですか?
やはり先ほど挙げたように、直接社員に接して対応するメンバーが知識を持つと、社員にとっての幸せにもつながるかなと思います。
社員の高年齢化というのはやはり止められないものですから、今後を見据えればきっと両立支援のケースは増えていくと考えられます。
会社としては両立支援のあり方をさらにブラッシュアップにしていく必要がありますし、それぞれの事業所ではその事情に合わせて最適な対応ができること、それが一番大きいと思います。
―社内であろうと社外であろうと、適切に投げられるリソースを知っていて、一ヶ所で抱え込まずに協働できるネットワークができるといいですね。
理想を言えば、復職プランを検討する立場にある人事担当者が、両立支援の視点を持って関われるといいですね。従来通りのパフォーマンスを発揮することだけにこだわっていたら、もう二度と会社に戻れなくなってしまうこともありますから。
人事を担当する立場にある人が両立支援の考え方を持ち、復職時の悩みを直接聴き取り、理解した上で、今後の働き方を柔軟に考えていけると効果的でしょうね。
―企業の中で両立支援を推進するための次の展開が見えてきたような気がします。具体的なアイディアをありがとうございました。
インタビュー後記
今回のインタビューを通じて、中外製薬さんの先駆的な両立支援の取り組みは、数多くの経験と強い思いから生まれたものであることを知りました。保健師の富田さんが、やる気のある社員の思いに応えたいとまっすぐな眼差しで語ると、人事の山本さんが、公平で円滑に運用できる制度づくりや人的配置で受けとめた事例を挙げ、一つひとつの事がらに連携して対応してきたこれまでの両立支援のあゆみを垣間見る思いでした。
これから仕組みを導入する企業にとって大いに参考になりそうだと感じたのは、両立支援は制度設計よりも、むしろその後の社員への周知や運用のほうが手間も時間もかかるということです。労力を惜しまない丁寧なメンテナンスが、生きた制度として安心して働ける企業づくりにつながっていると強く感じました。とても学びの多いインタビューでした。これからも両立支援の発展のためにご一緒できたらと思います。